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ダラダラと好き勝手に遊ぶ

「趣味なんてこの程度でいいんじゃない?」とユルく生きてみる

無罪

時事

まぁ、自分が「凶悪犯罪の加害者」と思っていた人が無罪になっちゃったりすると、納得いかない人も多いだろうね。その感情は理解できる。

 

でもまぁ感情的にならずに、冷静に考える必要もあるかと。

 

極端な話、日本の刑罰は苦痛を与えることを必ずしも目的とはしていない。

更生させ、善良な一社会人として第二の人生を歩ませることこそが真の目的。であれば、20年弱の間反社会活動もせずに普通に働いて納税して暮らしてきたのであれば、刑罰で与えるべき効果は既に達成していると言ってもいい。

 

また、そこに自由意思があったのかどうかという問題もある。

ああいう歪んだ組織の中において、上に反対するという自由があったのかどうか。「上の命令に従わなければ自分が拷問や処罰を受ける」という状況があったとしたら、果たしてどれだけがその人の罪として数え上げられるべきか。

 

また考えるべきは、どの事件についての裁判かということ。あの組織の場合は、価値観や行動の異常さ故に「全員を死刑にしなきゃ気が済まない」という人がいても仕方がないとさえ思える。「“あの”組織の幹部だったんなら、責任を取るべき」みたいに短絡的に考える人もいることだろう。

そのような感情に支配されず、争点となる事件を冷静に判断した裁判官たちはむしろ褒めるべきだと思う。必要以上の厳罰に処した方が国民感情的には安心するんじゃない?でもそういう感情的な熱狂に流されないのは司法がまだきちんと機能していると安心できる要素だと思う。例えば大戦中の日本であれば、疑われただけで事実かどうかに関わらず投獄されたりしたんじゃないの?

 

もし最高裁まで上がればまた違った結果になるかもしんないけどね。

 

そして、被害者への賠償はまた別問題。個人的にはこっちが重大な問題だと思ってるけど、責任者がああで組織がああだと困難だよなぁ。